休みの日に子供ら二人を会社に連れて行った。俺はその日も土曜で休みにもかかわらず済ませなけならない仕事があったが、比較的単純作業で子供たちの喧騒の中でもなんとかこなせる仕事ではあったので、ここのところろくに休みもとらず子供たちの相手もしてやれてなかったこともあり泊まりで連れ出すことにしたのだった。
会社に着くと案の定はしゃぎまくりで、そら絵を描けだの色を塗れだのお腹がすいただのトイレにつれてけだのと、度々俺は仕事の手を止めながら子供たちの相手をしていた。会社にあるものが珍しいのだろう、そこらじゅうのものをこれは何あれは何といつまでも質問してくるのに俺はひとつひとつ答えていた。そしてほとんど仕事も進まないまま夜になってしまった。子供らはいつも9時ぐらいには寝るのだがその日は興奮しているのか11時を過ぎても起きていた。俺がいつも会社に泊まるときに使っているソファーベッドを子供らのベッドにし、電気もそちら側だけ消して寝かせるのだが、いつまでたっても寝ない。静かになったなと思ってもしばらくするとしゃべりだし、ソファーベッドの上を飛んだり跳ねたりして騒ぎ出すというのを延々と繰り返していた。
そのうち子供らは窓から外の景色を眺めだした。会社の窓から見えるのはいくつものマンションやビルの明かりだけでいつもの見慣れた景色だ。子供らは窓のそばに腰掛けてあれは何とかききながら景色を眺めていた。考えてみると普段なかなか一緒に過ごすことのできない父親の会社に子供ら2人で泊まりに来た。いつまでも夜更かしして修学旅行のような気分なのだろう。俺にとっては窓から見えるのはいつもの何気ない景色でも、子供らにとっては100万ドルの夜景にも等しいのかもしれない。いつまでも2人とも目をキラキラと輝かせていた。
翌朝嫁さんが迎えにきて子供らは家へと帰っていった。静かになった会社でやっと落ち着いて仕事に取り組むことができると俺は安心したが、たまにはこんな時間を過ごすのも悪くはないなと思った...。
ふと考えた。支配しようとする気持ちは自分が支配されるかもしれないという恐怖から生じていることが得てして多いのではないか。支配される前に支配してしまえというわけだ。多くを支配した歴史上の人物は皆その恐れを人一倍強く持ちそれを克服するため必要以上に支配力を拡大して全てを手に入れようとした人達なのかもしれない。そして待ってましたとばかり支配星の術中にはまり破滅へと転がり落ちていく。
日本人がここまで地に落ちた時代はかつてなかっただろう。日本中の女性がセレブな生活を夢見、男は大金をつかんで好き勝手なことをして生活することばかりを考えているかのようだ。それが現実にかなわぬ者は身近なものを支配しようとする。虐待にしろ幼児のを狙った犯罪にしろ絶えないのはそのせいだ。そしてどこにも行き場のなくなってしまった者たちはひきこもり自分の世界に閉じこもる。あらゆるものを手に入れていったいその先に何があるというのだ。死んだら逆の世界が待っている。金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しいのだ。
支配されないという気持ち。それさえ強く持っていれば支配されることはないのだ。たとえ表向きは支配されたかのように見えても心まで支配することはできない。先行きの不安から鬱になる人が増えているという。どんなに考えても先が見えず同じ考えの堂々巡りになってしまうのだろう。不安に支配されてもつまらない。今は先の見えない不安な時代だ。逆に見えてる方が不思議だ。支配に対して支配で対抗するのはバカげてる。結局は同じことだ。現代社会で横行しているマネーゲーム、パワーゲームと同じでそれらに支配されてしまっているのだ。歴史は繰り返してきた。これからも同じことを繰り返す希望のない未来なのか、それとも違った新しい時代になるのか。支配に対しては支配されないという対抗方法もあるに違いない。誰かが同じようなことを言ったかもしれない。見かけは弱くても人間の意識がものをいうのだから一人一人が強く思えば大きな力となってきっと新しい未来が実現する。苦しい今このときこそが一人一人の意志が試されているのだ...。
何と1ヶ月ぶりのご無沙汰。ちょっと時間ができたので以前から書きたかったことを書こうかと考えてたらそれどころではない緊急事態の模様。この情報が世に広まるのを必死で邪魔してくる存在がいるのだ。俺は相変わらず仕事がしんどいことを除けばいたって元気だが、近頃耳鳴りが激しいことや今朝社員の1人が鬱かもしれないと会社に出てこなかったことも何か関係があるのか。
ここのところ現実の仕事の忙しさに囚われてあまりこちらに意識を向けられなかった。何でも来いだ。次から次へと解決してやる。白い光のイメージ、白い光のイメージ、白い光のイメージ。地球は苦しんでいる。白い光で地球やみんなをやさしく包むイメージ。それが大切だ。
ソラからの伝言ではそれまで疑問に思っていたことの答えや疑問にさえ思わずなんとなく鵜呑みにしている常識が間違いであることが次から次へと明かされていく。それはそれまで誰も思いつかなかったような意外な答えであることが多い。先日はついに人類誕生の具体的な状況が明らかになった。
お知らせ 2005年6月1日(水)
鶏が先か卵が先かというのはよく聞く話だが、鶏が先だった。まずは原子から心臓がつくられ大人の体がつくられたという。最初の誕生は京都府綾部市にあるストーンサークルで起こり、そこでは数千人もの人間が誕生したということだ。世界各地に見られるストーンサークルがそういう役目を持っていたとすると人類は世界のあちこちで同時多発的に誕生したことになる。
学校では人間は猿から進化したと教えられる。果たしてそれは本当なのか、誰かそれを実際に見たやつがいるのか。単に発掘された化石などからの憶測でしかない。タイムマシンというものができたら時代をさかのぼってまず確かめたいことのひとつだ。我々人間はなぜここにいるのか。それは最先端の科学でさえ教えてくれない。人類存在の根元にかかわるこの問題をどうとらえているかということが、各人の生きざまを決め、ひいては人類の先行きに大きく影響を与えると俺は思う。科学も宗教もそこをおさえて人々の潜在意識に無力感を植え付けてきたのだ。
そんなバカなと思っているそこの君。一回頭を真っ白にして今一度このテーマについて考えてみてはどうだろう...。
ここのトップに出ている写真はうちの長男がはじめて歩いたときのものだ。これには写ってないが二本足でしっかりと歩いている瞬間をとらえている。よほど嬉しかったのだろう、顔には満面の笑みをたたえている。1歳の冬だったが残念ながら俺はその場にいなかった。仕事上長期の休みを取ることが難しい俺を残し、嫁さんと子供だけで1週間ほど九州のおばあさんの家に遊びに行っているときだったのだ。いつもながら仕事にかまけて家族の重要な場面に立ち会えないのはさみしいものである。
ブログに写真を入れるところがあったので何かないかとPCの中身を探したところ以前テスト的に携帯送信用に加工した写真を見つけたのでそれにした。本人には黙っているので申し訳ないが、周囲に言わせると長男と俺は瓜二つらしく嫁さんなどは並ぶと同じ顔が大小あって気持ち悪いとまで言う。(親子だから当たり前じゃー)特に眉の形や笑って目が垂れたときが似ているらしい。それほどそっくりなので俺の子供の頃の写真だと言っておけば知らない人は誰も気づかないだろう。というわけで、俺がどんな顔か知りたければこの写真がそのままおっさんになった感じを思い浮かべてください。
その長男が3歳だったか何度目かの小児健診を受けたとき気になることを言われた。積み木などの簡単なテストをして発育状況をみるらしいのだが、3段くらい積み重ねたところですぐに崩れてしまうのをみて先生に、あまりかしこいとは言えませんね、的なことを言われたというのだ。そして家で幼児教育を熱心にするようすすめられたという。元来気の強い嫁さんは、ふざけんな、うちにはうちのやり方があると啖呵をきって帰ってきたらしい。俺は一応大学は出ているがぼーっとしていて抜けているところがありあまり同級の中でもできの良い方ではなかった。嫁さんは高卒でチャキチャキしていて人当たりはいいのだが基本的に本を読まないので漢字が読めなかったりして決してかしこい部類ではない。残念ながら頭はお互いの悪いところが似たんだろうぐらいにしかそのときは思っていなかった。
4歳になり幼稚園に入るといろいろな事件が起こった。春は目立たなかったが秋頃から家ですぐに怒ったり泣いたりして情緒不安定になることが多くなった。悪いことをしたときなどにちょっと叱るだけでみんな嫌いだと叫んで飛び出し部屋の隅や見えないところに行って三角座りをしてじっとうつむいている。後でわかったことだが幼稚園でいじめにあっていたのだ。嫁さんが幼稚園で他の子が罵声をあびせて走り去っていくのを見ておかしいと思い先生に問いただしたところ発覚した。つらい気持ちを誰にも伝えることができずに一人で苦しんでいたのだ。最初は長男のおっとりした性格がわんぱく連中の標的になりやすいのだろうと思っていたのだがどうも違うようだった。他の子の遊びの輪の中に入ってもルールが理解できないために迷惑をかけてしまう。先生の話を落ち着いて聞くことができずゆっくりと何度も説明しないと理解ができない。うまく自分の意志を表現できない。嫌いな野菜がお昼に出たりするとみなの前で吐いてしまうことが続いたことも原因だったと思う。先生からは家できちんとコミュニケーションをとっているかと聞かれた。俺は子供達が起きているあいだに家に帰ることはほとんどなく休みも週1回とれればいい方なので確かに父親とのコミュニケーションは足りなかったがそれだけが原因ではないようだった。
いろいろ聞いてみると妹の小学生高学年になる長男がADHD・アスペルガー症候群で小児健診で遅れてると言われたことがないかと聞いてきた。自分とこの子も最初はそうだったらしい。確かに言われている。一人目だったので他の子がどうなのかあまり気にしてなかったのだが、下の子は早いとはいうものの2歳離れた次男の成長と比べてみると確かに何もかもが遅い。遺伝性で長男に出やすいらしい。実は俺も長男なのだが、そういえば昔から集団生活が苦手なところがあり中学の一時期は当時はクラスに一人か二人しかいないオタクしか興味をしめさないコンピュータに熱中したりしてひとつ間違えば今で言うところのひきこもりになっていたと思う。とにかくショックだった。特に嫁さんはお腹にいるときにいろいろあったのがよくなかったのかと自責の念にさいなまれていた。長男は生まれたときから足に大きなアザがあり、そのことも嫁さんはずっと気にしていたのだ。
そんなことは気にしなくていい。アザはちょっとした個性だと俺は言ってきた。それを欠点だと思うような人間にはなってほしくない。人より遅れていたって一向に構わない。本人のペースにあわせてみなが一緒に歩んでゆけばいいのだ。何が本当に大切かは俺が教えてやる。ただ競争の激しい都会にある学校でやっていくのは難しいかもしれない。最近の子供には珍しく自然や動物が大好きなのだ。小さい頃から川や海で泥だらけになって遊ぶのが好きだった。本人にとって一番いいことをしてあげたい。それが俺たち夫婦の結論だった。
幸いにも幼稚園の年長になってクラスが変わってからはいじめもなくなったが、卒園する頃にははっきりと1年遅れていると言われた。卒園式では担任の先生も一番心配な子ですと言って泣いていたそうだ。この春小学1年生になり毎日宿題をかかえて帰ってくる。他の子はさっさとすませて遊びに行くが長男はいつまでも宿題ができずにいる。数字は言えるが2が1より大きいとか多いとかいう数の概念がよく理解できないのだ。文章問題は文章が理解できない。いつも嫁さんがつきっきりで宿題を見ている。小学校の担任の先生はかなり根気よく教えてくれているようだが一度専門の病院で診てもらうようにもすすめられている。そんな我が家の長男だが、今日も元気に学校へ行っている...。